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2009年06月06日

岡崎市倫理法人会

第477回モーニングセミナー
場所:岡崎ニューグランドホテル



テーマ:「幸福の法則 17箇条を学ぶ」
     第11条 万物生々
講師:経営インストラクター 宮瀬文夫氏



(お金について)
金銭・・・物を象徴し、すべての財を具象したもの


生きた金とは・・・幸福に導く金、大切に生かして使う、喜働、明朗愛和

死んだ金とは・・・不幸に導く金、粗末に扱い殺して使う、不純な働き、
          確執葛藤
          


(カステラの文明堂 宮崎氏の話)
お客様からいただいたお金が破れている状態
→戦場で負傷したような状態である。
⇒お札をテープで修繕し、まっすぐに伸ばして、金庫へ
 「少し休んでいて下さい!」と大切にする。

すると、喜んで働いてくれる。


(山梨県 中学生 鶴田くんの作文)「大切に使いたいお金」
とある目的のために、宅配業者をしている親戚のおじさんの
お手伝いを1週間した事によって、
 「お金の背景には、たくさんの大変な労働がある!」

すぐに、できる実践としては、お札を折らないで、向きを揃えて
財布にしまう事、ましてや、ポケットにクシャクシャにして入れては
ならない。お金を大切にする人に、お金も好んで集まって来るそうです。


投稿者:豊田市北準倫理法人会
      専任幹事 西村武蔵

  


Posted by 豊田地区倫理法人会 at 09:37 │他地域倫理法人会セミナー

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2009年05月25日

第二回 知多岬モーニングセミナー

23日の土曜日から、24日の日曜日にかけて知多岬の師崎において
第二回 モーニングセミナーが開催されました。
私、小林憲司が倫理体験発表をさせて頂きました。



知多半島の美しい島々に囲まれて、倫理を学べるのは格別です。



美味しい海の幸と共に、倫友と夢限りない前夜祭になりました。



おまけに二次会のカラオケルームでは、日比野会長とコスプレツーショットという
予想外の盛り上がりとなりました。たまたまカラオケルームに設置してあったもので
常に趣味で持ち歩いているのではありません(笑)



知多岬準倫理法人会 会長 青木登(昇) あおき のぼる様
創業1908年 おつけもの製造・卸の(有)丸ヨ青木商店 代表取締役
知多岬開設に情熱を傾けておられます。









日曜日ですので、休みの方はセミナー後、海で釣りを楽しんだり
お風呂に入ったり、師崎を堪能して、ひと時を過ごすことができます。

豊田グループの皆で遠征もいいですね・・・

豊田市中央倫理法人会 小林憲司

  


Posted by 豊田地区倫理法人会 at 10:07 │他地域倫理法人会セミナー

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2008年11月14日

村山事務長、浜松南で講演

10月に、村山事務長(豊田市南倫理法人会 会長)が
浜松市南準倫理法人会モーニングセミナーで講演されました。
(村山事務長=愛東運輸株式会社 代表取締役社長)

普段、事務長として、てきぱきと業務を行う姿が印象的な村山事務長。
新たに立ち上げる豊田市南倫理法人会の会長に決まりました。
村山会長の歩んできた道や思いを知る機会を得られたことに感謝し、
ご報告させていただきます。

以下、村山会長の言葉から・・・

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私は、昭和23年、ベビーブームの頃に生まれた団塊世代。
戦争から立ち上がろうと国民ががんばっている頃で、
四男二女の5番目、次女として生まれた私は、大した期待もされず
ただもう生きてくれればという両親の願いのもと、大切に育てられました。

父は、戦前 満州でたくさんの土地を所有して、事業拡大もするやり手でした。
戦後も数々の事業に挑戦し続けた人でした。
でも母は、戦争を体験したことで「身に付いたものしか残らない」という
信条を持っていました。
そのため、私にお稽古事をたくさんさせていました。
10本の指で数え切れないくらいのお稽古事をしていました。
また、私を大学へ行かせるのが母のたっての願いでした。
しかし、大学出の女子が就職するのが困難な時代でした。
そうしたところ、運輸会社の経理部に入ることになり、電算部をつくるから、
プログラムを書く人がほしいという話があり、。
プログラムを書く勉強をして、楽しく働きました。

しばらくして、親の希望でお見合いすることになり、
なんと2ヶ月間で7回もお見合いしました。
7回目に会ったのが主人でした。
出会ったその日に、「僕は重い病気で・・・」という話をされ、
病気で断るのが申し訳なく、他に断る理由もなく・・・
そういうわけでお付き合いすることになりました。



主人は、ほんとうに律儀できちんとした人で、
毎晩8時に、1分の狂いもなく電話してくるような人でした。
その後結婚し、すぐに娘が生まれ、二人目の娘も生まれました。
子育てしている頃に、主人の身体はだんだん悪くなり、
まず右半身麻痺になりました。頚椎腫瘍で、手術によっても
全部取りきることはできませんでした。
退院してからも病気は徐々に進行していきました。

義父が運送会社を経営していて、会社のタンクローリーが、
灯油にガソリンを混ぜて販売していることが発覚し、
もう一度やったら後がない状態になりました。
そうして家業は傾いていきました。
経理をしていた私は、経営状態がみるみるまずい状態になっていくのが
はっきりわかりました。
いくら お義父さんに財産があっても、もう支えきれない、
もう資金がなくなってしまうことが予測できました。
私は、なんとかしたいと思いました。
うちは、お客様にも従業員にも恵まれている、
従業員には、うちにきてよかったと思える会社にしたい、
なにがあっても立て直す、やらせていただく、と心に決め仕事していました。
自分がそう覚悟を決めて動き出すと、不思議なことに、
仕事がほしいと思うと仕事が入り、人がほしいと思うと人が入るようになりました。

一方で、主人の病気は進行の一途をたどり、
口から下がまったく動かなくなりました。
それでも誠実さを失わず、わがままを言わず、すばらしい主人でした。
むしろ、私の方がわがままだったと思います。
主人のおかげで、いい女房を務めることができました。

仕事にかかわって2年後、結婚記念日に、主人が息をひきとりました。
子どもたちは、泣き叫んでいました。
でも、私は「もういい・・・長い闘病生活、ほんとうにご苦労様」と
ねぎらい見送りたい気持ちでした。

その後私は、どんどん仕事に入っていきました。
常務になり、会社をきりもりするようになりました。
義父もかなり年を重ね80才を過ぎ、さすがに代替わりをということになりました。
妹の婿が社長になりました。
自分が会社をきりもりしているという気持ちでいたので、
寂しい気持ちはありましたが、倫理の実践で自分が変わろうと努めました。
その頃の私に、倫理は必要必然で、ほんとうに必要なときに、
出会うべくして出会ったんだなあと今ふりかえって思います。

自分に起きたことはみんないいこと、自分に必要なこと・・・
倫理でそう学んで、自分もそう思えるようになり、
義父母に対する思いも変わりました。
自分ではなく妹の婿を社長にしたことを寂しく思うのではなく、
これだけ任されていることに感謝できるようになりました。
そして、その後社長になりました。

自分は倫理を学んでいても、それを会社に落とし込んでいくことは
なかなか難しいことでした。
たとえば、朝礼でも、運送業で朝そろわない勤務体制のため、
なかなかできずにいました。
でも、私が学ぶにつれ、まずはやろう、と思いました。
そのときいる人だけでも集まって始めたらいいと考え、始めました。
今では朝礼は当社にとって大切な時間になっています。

そして、次に清掃に取り組みました。
お掃除の会に参加させていただき、掃除をすることで心が磨かれる
そのすばらしさを理解できたものの、これをどう会社に落とし込んでいけば
いいのだろうと思案しました。
そして生まれたのが、「車ピカピカ大作戦」です。
思い切って洗車機を購入し、トラックなど車が常にきれいな状態にしようと
呼びかけました。
洗車機も従業員の間で非常に好評で、
「愛東さんの車っていつもキレイだね」と言っていただけるようになりました。
そして、ガソリンの値段が高騰しているここ1年ですが、
そんな中で、先日の9月決算では前年対比8%売上が増えました。

愛東運輸は、2020年に、年商20億円を目指してがんばっています。
自分が社長を勤めさせていただくのは、
主人ができなかったことを、主人が私の身を借り、実現しているんだと思います。
常務の頃に、自分が社長ならといろいろ考えましたが、
実際社長になると、責任の重さ大きさは想像以上です。
社長になってからも、経理・交渉など責任ある実務はすべて自分でやっていました。
ほんとうにめいっぱいがんばっていました。
でも、経営革新をしていらっしゃる診断士の先生方から
「それはまずいよ」と教えられました。
そして、息子に任せようと決心し、「任せるわ」と言ったとたんに、
いい意味でとても楽になりました。
でも、楽になったら今度は倫理の会長の話があって(笑)・・・。
会長職は、普及活動がなければ最高なのに、なんて思っていました。
でも、副会長を引き受けてくださった高濱さんに、早速
「会長」「会長」と呼ばれ、「もう会長なんだー・・・」と戸惑う一方で、
会長としての意識を持つことができました。
また、同じく副会長を引き受けて下さった三浦さん、下村さん、という若い2人も
私を支え、「会長、やりましょう」と言ってくれて本当に心強いです。

浜松市倫理法人会前会長の、戸塚さんに、
「役職は、お世話役です。会長は誰よりもお世話役なんです」ということを
言われ、確かにそうだなと・・・そういうことなんだなと自覚するようになりました。
これからも、皆様に支えられながらも、お世話役としてがんばっていきます。

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豊田からの応援部隊!と、浜松南の会長と、みんなで記念撮影しました。



決して平坦ではない人生の道のり、そしてそれを乗り越えて
笑顔を絶やさない村山会長のお話、みんなで感動して帰ってきました。
ありがとうございました。



投稿者:ルーコ 井上




  


Posted by 豊田地区倫理法人会 at 10:25 │他地域倫理法人会セミナー

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2008年10月26日

山中敦子会長が半田で講演されました【第3話】最終回

先日、投稿しました山中敦子会長(スーパーやまのぶ 取締役専務)の
半田倫理法人会での講演、第2話。

今日は、その続き、第3話:最終回を投稿させていただきます。


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「150社で設立」と愛知県倫理法人会の日比野会長に言ってしまっていました。
平成17年に、72社で準倫理法人会を開設、
平成18年に150社で正式に倫理法人会として設立すると宣言したのです。
増えてはいきましたが、12月、1月でぱたっと入会社数が止まってしまいました。
年末でどこの会社もいそがしく、年明けね、と言われる。
目標期限の8月がどんどん迫ってきました。7月で、121社でした。
みんながやってくれればと、何度も思いました。
そして、そこまでしなくても、という声もあって、気持ちが揺らいだこともありました。
でも、150という数字は、自分が言ったこと。
達成できなかったら、「女がやれっこないんだよ」とあちこちで言われそうで、
「女がやれっこない」という文字が一生背中にプリントされる気がしました。
そう思うとやらずにはいられませんでした。

残り1ヶ月で30社入れないと150社にならない状況でしたが、
やらずにはいられない、やってみなきゃわからない、
これまで「やれなかったらどうしよう」と心のどこかで思っていた、
それがいけないんだと吹っ切れました。
「やれなかったらどうしよう」と思い悩むエネルギーを
普及に使ったらどれだけいいだろうと思うようになり、
1社1社トライしていきました。
それまでは、“やまのぶの奥さん”という体裁がありました。
もう、恥も外聞もない状態。
そして、残り1ヶ月で30社普及に成功しました。

150社の壁がなければ、また、会長でなかったら、
得られない体験をさせていただきました。
みんなが「会長」「会長」と呼んでくれる、その一声一声に励まされ
歩んできました。

倫理法人会は、100社ないと運営していけません。
100社あればいいということではないんですね。
だから、150社あれば、50社退会しても、100社残るという考え方で、
目標を150社にしました。
また、150社達成したあとも、退会対策を考えました。
その中のひとつに、倫理経営塾があります。

倫理経営塾は、主に社長の子どもでこれから会社を継いでいく人を
対象にしました。
つまり、子どもを人質にとろうというわけです。
親子の関係で事業継承する場合、親父を省いて
会社だけ受けようとするケースが多いのですが、
それではダメで、親を受けて初めて会社を受けられるのです。
そういう倫理を子どもさんたちに教えようという塾です。
子どもが倫理経営塾という倫理に行っていると、
会社としても退会はしない。

倫理経営塾で学んでいる人のひとりに小林副会長がいます。
小林さんは、当初、私からお願いして、名前だけ貸してということで
入会してもらいました。
でも、今では、豊田市倫理法人会を引っ張っていくリーダーシップを
発揮してくれています。
3月に、豊田市倫理法人会を3つに分けることになりましたが、
それに関して、いずれは5つに分けて豊田に倫理を根付かせようと
言っています。
自分からどんどん改革をして、豊田市倫理法人会にとって
とても心強い存在になりました。

会長職に就かなかったら、出会えなかった縁がたくさんあります。
経験できなかったことがたくさんあります。
会長をさせていただいて、ほんとうによかったと思います。





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投稿者:ルーコ 井上  


Posted by 豊田地区倫理法人会 at 22:13 │他地域倫理法人会セミナー

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2008年10月18日

山中敦子会長が半田で講演されました【第2話】

先日、投稿しました山中敦子会長(スーパーやまのぶ 取締役専務)の半田倫理法人会での講演。
今日は、その続きを投稿させていただきます。


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結婚したときの話に戻りますが…
当初は、義父の創業者精神が非常に強く、
有無を言わせないものがありました。
嫁は金庫番だけしていればいいから、と言われ、結婚しました。
ところが、結婚3日目の晩に義父・義母に呼ばれ、
「ここに座りなさい」と板の間に座らされ、突然言われたのです。

「勲(夫)は人がいいからダメだ。だから、あんたがしっかりしないといけない」
それは、金庫番ではなく、やまのぶで猛烈に働き、
やまのぶをきりもりしていくことを意味していました。
次の日から、想像を絶する嫁教育が始まりました。

主人はとても温厚でいい人でした。
義父は、そんな息子の、強く生きない部分を嫌っていました。
怖いほどのバトルが頻繁に繰り返され、
主人は、「もううちを出よう!二人でやれば何だってできる!」
といつも叫んでいました。
私はいつも義父と主人の板ばさみでした。
バトルすると、呼ばれて、なんとかせよと言われるのは私でした。
義父にハイ、といわないと収まっていかない。
親子の関係で会社を受けるということは、まず親を受けるということです。
先祖を受けるということです。
でも、私は若くて無知で、そういったことを知る由もなく、
とにかくハイというしかありませんでした。
何も世間を知らずに嫁になったので、比べる世界を知りませんでした。
でもだからこそ、素直に親の言うことをきくことができたんだと今になって思います。




一方で、やまのぶの実務を一生懸命やっていました。
昔は、卵のパック詰めなどを、みんなで手作業していました。
私は、手が遅く、義母がわざわざ 流れ作業中の私の横に来て、
いつも以上のスピードでこなして私に送ってくるんです。
どんどん送られてきて、私はもう必死でした。

義母がまだ子育て時代のときの話を聞いたことがあります。
義父が行商に行っている間に、お客様も来ないので、子どもにと思って
編み物をしていたら、それをたまたま義父が見て
「お客様が来たらどうするんだ!」と言って
編んだものを全部ほどいてしまった、という話でした。
それほど商売に徹底した創業者だったのです。
私が子どもを産んだら、仕事するのに子どもは邪魔だと言って
子守さんを頼んで、私が朝から晩まで働ける体制にしました。
今でこそ、孫やひ孫はかわいいだろうと思いますが、当時は非常に厳しく、
徹底していました。

義母は、「あんたの苦労を見ているとかわいそうで、泣けてしょうがない」と言いました。
私は、「かわいそうだと言うのはやめて下さい。
夢が水の泡になったときにかわいそうなのであって、
夢に向かってがんばっているときは、それは苦労ではなく努力なんです」と言いました。

そうやって、結婚、入社以来、ハイというしかない、有無を言わない20年が過ぎました。
子どもたちはそれぞれ巣立って、自分は40才になり、
40才になったときに、ふと思いました。
ああ、私には仕事があって本当によかったと。
子育てだけで終わらずに、よかったと思いました。
同年代の女性の多くは、毎日の家事の他は、楽しくお茶を飲んで過ごしているけれど、
私が仕事をさせてもらった20年、その20年で身についたものは計り知れません。
何が何でもやらねばならないという環境、有無を言わせない環境、言えない自分、
そういうトンネルが人生には必ずある、
自分の将来に向けてくぐりぬけて!と社員には言っています。
社員が困難にあっているとき、経験したからこそ言える自分がいます。

「これをするとどうなるんですか?」ではなく、有無を言わず「ハイ」と社員たちが
動くようになって、売上がどっと上がりました。
また、経験則だけでなく、倫理を会社の中に入れていきました。
私は、社員のみんなに関して、この子たちの親になろうと思うのです。
この子たちは自分が育てようと。
そして、やまのぶでの長い日々でいろんなことを
身に付けさせてもらって、今の自分がいて、
世の中へお返しするために会長職をさせていただこう、という気持ちで
やってまいりました。

私は、会社の中では専務です。
徹底的にやりたいA型人間ですが、専務という立場では
社長がトップにいる以上、徹底することができないことがあります。
まあ、妻の権利でいろいろやっちゃいましたけど(笑)。
徹底的にやるにはやはりトップになることです。
そういう意味でも、会長職をやらせていただきたかった。
自分の色に染め、自分の考え方で運営していくことができるからです。

倫理の普及(倫理法人会の会員を増やすこと)では、ほんとうに
たくさんの学びがありました。
「150社で設立」と愛知県倫理法人会の日比野会長に言ってしまっていました。
平成17年に、72社で準倫理法人会を開設、
平成18年に150社で正式に倫理法人会として設立すると宣言したのです。
増えてはいきましたが、12月、1月でぱたっと入会社数が止まってしまいました。
年末でどこの会社もいそがしく、年明けね、と言われる。
目標期限の8月がどんどん迫ってきました。7月で、121社でした。
みんながやってくれればと、何度も思いました。
そして、そこまでしなくても、という声もあって、気持ちが揺らいだこともありました。
でも、150という数字は、自分が言ったこと。
達成できなかったら、「女がやれっこないんだよ」とあちこちで言われそうで、
「女がやれっこない」という文字が一生背中にプリントされる気がしました。
そう思うとやらずにはいられませんでした。

残り1ヶ月で30社入れないと150社にならない状況で・・・

・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
・・

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第3話に続く・・・!




投稿者:ルーコ 井上



  


Posted by 豊田地区倫理法人会 at 21:30 │他地域倫理法人会セミナー

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